なぜ“ 資料 がきれいな人”は重宝されるのか? 組織文化を映す可視化力の話

こんにちは、阿久梨絵です。
この人の 資料 、いつも見やすいよね
言ってることがスッと入ってくる

一方で──
情報は多いけど読みづらい
何が言いたいのか伝わらない

社内外問わず、“きれいな資料が作れる人”が重宝される場面は多々あります。
でも実はこれ、センスやデザインの話ではなく、組織文化と関係があると思うのです。

「きれいな資料」が意味するものは、“デザイン力”ではない

そもそも「きれい」とは何でしょうか?

情報が整理されている
誰に何を伝えたいかが明確
・無駄がなく、図や言葉がシンプル

つまり、受け手に配慮された“見え方の設計”ができているということ。
これは、ただ整っているだけでなく、「相手が読みやすい・理解しやすい」を第一に考えられている証拠です。

“情報の受け手”に意識が向く組織、向かない組織の違い

【A】資料が読みやすい人が評価される組織

・社内外に“情報を伝える”文化がある
資料もコミュニケーションの一部と捉えている
「読まれること」「伝わること」に重きを置いている
フォーマットや共通言語(図・色・構成)への配慮がある

【B】内容が正しければOKな組織

・伝達よりも“記録”としての資料作成が多い
担当者の属人的な作成スタイルに任せきり
社内レビュー文化が弱く、視点が内向きになりがち

Aの組織では、資料は「チームで伝える道具」として扱われます。
Bの組織では、資料は「個人が書いた業務ログ」で終わってしまうことが多いのです。

 なぜ“整えられた資料”は組織にとって資産になるのか

1. 引き継ぎ・共有がスムーズ

 → 見ればわかる構造・共通フォーマットでナレッジが蓄積

2. お客様や社外パートナーとの信頼感につながる

 → “伝える姿勢”は信用と印象に直結する

3. “考えた跡”が伝わることで、チーム内の議論の質が上がる

 → 曖昧な論点が減り、意図が共有されやすくなる

組織として意識したいこと

・「誰に、何を、どう伝えるか」という構成の共通認識
フォーマットやデザインのガイドライン整備(ベースでOK)
資料づくりの教育は“ITリテラシー”の一部として捉える
誰かひとりに“きれい担当”を任せないチーム設計

まとめ

資料 のきれいさを評価する組織は、伝える力=チームで成果を出す力と見ています。
一方、受け手視点が希薄な組織は、“伝えたいこと”が届かず、誤解や非効率を招きやすくなります

結局、「誰かの時間を奪うか、誰かの理解を助けるか」。
1枚のスライドにも、そうした組織の体質はあらわれてしまうのです。

資料がきれいな人”が重宝されるのは、情報の見せ方で、チーム全体の仕事の質を上げているから。
その視点を、仕組みとして組織全体に根づかせるところから——始めてみませんか?
阿久梨絵でした!

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