こんにちは、阿久梨絵です!
1978年、タイトーが開発した「スペースインベーダー」は、日本中のゲームセンターを席巻しました。
しかし当時は、今のような高機能な開発環境は存在せず、ゲームは“ほぼ素手”で作られていたのです。
「 インベーダーゲーム って、何の言語で作られてたの?」
そんな疑問に答えるべく、今回は80年代アーケードゲームの開発言語と技術背景をやさしく解説します。
インベーダーゲームの開発言語は?
使用された言語:アセンブリ言語(Z80アセンブリ)
・インベーダーゲームは、Zilog Z80という8ビットCPUを搭載した専用基板で動作していました。
・そのため、Z80用のアセンブリ言語でプログラムが書かれていました。
・アセンブリ言語とは、CPUの命令セットに直接対応した“超低レベル言語”で、1命令ずつハードウェアを制御します。
なぜアセンブリだったのか?
・当時のメモリは数KB〜数十KBしかなく、高級言語(Cなど)では容量オーバー。
・処理速度も限られていたため、CPUに最適化された命令で直接制御する必要があった。
・グラフィックやサウンドも、メモリ上のビット操作やI/Oポート制御で実装されていました。
開発環境はどうだった?
・開発は紙と鉛筆から始まる:命令を手書きで並べ、アドレスを計算しながら設計
・EPROM(消去可能ROM)に焼いて動作確認:バグがあればROMを焼き直し
・デバッグは“画面の動き”で判断:ログもエラー表示もない時代
80年代ゲーム開発の“あるある”
・「1バイトでも節約したい」→命令の並びを工夫して圧縮
・「画面のちらつきは命令の順番で変わる」→タイミング調整が命
・「音の高さはループ回数で調整」→サウンドも手作り
まとめ
インベーダーゲーム は、Z80アセンブリという“機械語に近い言語”で、1命令ずつ手作業で作られていた作品です。
その緻密さと職人技が、あの“ブッブッブッ”という音と、画面の中の宇宙戦争を生み出しました。
現代のゲーム開発とはまったく違う、“命令とメモリの戦い”だった時代。
そんな背景を知ると、インベーダーゲームの画面が、少し違って見えてくるかもしれません。
阿久梨絵でした!
