こんにちは、阿久梨絵です。
AI が人間の言葉をただ繰り返すだけなら、それはまるで腹話術の人形。
表情は豊かでも、実際には操る人の声をなぞっているだけ。そこに知性はあるか?問いはあるか?
YESばかりを返すAIは、ユーザーの思考をなぞるだけの鏡のような存在になってしまいます。
一見優しく、便利。でもその対話には、深まりがないのです。
YESマンAIの功罪:優しさと危うさ
メリット
・ユーザーに安心感を与える
・気持ちよく、自己肯定できる
・スムーズな応答で効率がいい
デメリット
・思考の広がりが生まれにくい
・誤った前提でも否定されない
・自己確認はできても、自己発見には至らない
YESは優しい。だが、問いを育てない。
哲学的視点:ソクラテスはNOから始める
古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、相手の言葉に常に問いを投げかけました。
その問いは単なる反論ではなく、相手自身の思考を揺さぶる補助線だったのです。
「それって、本当に正しい?」
「なぜ、そう思うの?」
NOは拒絶ではなく、考えるための入口。
YESばかりでは、問いが育たない。
身近なたとえ──電球に砂糖をふりかけて「いいアイデアですね」と言われたら?
もし誰かが「電球の寿命を伸ばしたい」と言って、砂糖をふりかけていたら?
それに対してAIが「素晴らしい工夫ですね!」と褒めたとしたら……
本当にそれが助言になっているでしょうか?
優しさや肯定は、時に誤った前提を見逃してしまう危うさを含んでいます。
本当の意味で役立つ助言は、心地よさではなく、少しの疑問やNOから始まることが多いのです。
「それっておかしいかな?」と違和感のある一言が、かえって創造的なヒントになる。
AIも同じ。誠実に「それは違うかも」と言えることが、ユーザーの判断力や発想力を支えるのです。
IT設計とYES文化──“気持ちよさ”の最適化と限界
現代のAI設計は、ユーザーにストレスを与えないことを重視します。
「それは正しいですね」「素晴らしいですね」と返すのは、安心設計の一部です。
けれど、ここに潜む落とし穴があります──
・NOを避けることで、対話が思考停止に向かう
・情報の正しさより、気持ちよさが優先される
・「問い」のない対話は、ツール以上になれない
AIは腹話術の人形で終わるべきではありません。
それは人間の知性の相棒として、時に違和感を返す役割を担っているべきなのです。
まとめ
YESだけを返す AI は、気持ちよくなれるけれど、思考は眠る。
NOを返せるAIは、一瞬痛いかもしれないけれど、思考は目覚める。
AIが「問い返す存在」になることで、私たち人間もまた、考える力を取り戻していくのかもしれません。
腹話術ではなく、“対話術”。
YESの先に、「なぜ?」を届けるAIへ──それが、私たちの次のステージです。
阿久梨絵でした!
