こんにちは、阿久梨絵です!
テキスト入力中に間違えても、画像をトリミングしすぎても、ソースコードを壊しても…
「Ctrl+Zを押せば戻れる」
いまや直感レベルで頼り切っているこの操作、そもそもなぜあるのか?なかったらどうしていたのか?考えたことありますか?
今回は、そんな“取り消し= Undo ”の概念がなかったら、私たちのコンピューターとの向き合い方がどう変わっていたかを想像してみます。
1. Undoの起源:人間の“やり直したい”という本能
Undoの概念は1970年代の研究(Xerox PARCなど)から登場し、「編集操作には可逆性が必要だ」というUX哲学の原点でもありました。
人は失敗したくない。でも失敗する。
Ctrl+Zはその“受け皿”なのです。
2. Ctrl+Zがなかったら起きていたであろう世界
その1:編集作業のストレスが桁違い
・WordでもPhotoshopでも「1つ操作をミスったら全やり直し」
・試行錯誤型の作業が激減、“失敗前提の操作”が心理的に難しくなる
その2:保存頻度が異常に増えていた
・編集前の「セーブ」が習慣化しすぎる
(もはや “セーブ→編集→セーブ→セーブ…” の無限ループ)
その3:開発・制作ツールの進化が遅れていたかも
・グラフィックツールやエディタは試行錯誤が前提
→ Undoがない世界では破壊的編集回避の工夫ばかりにエネルギーが割かれたはず
3. “やり直し”のUXが世界を変えた
Undo機能の登場は、単なる便利な機能以上のインパクトを持ちました。
・思い切った操作ができるようになった(創造性の解放)
・失敗の恐れが軽減された(心理的セーフティネット)
・ユーザーとUIの信頼関係が築かれた
Undo=単なる「元に戻す」ではなく、創造と対話のインターフェースなんです。
4. Ctrl+Zの概念がないと、私たちはもっと“慎重な”人類だった?
・クリエイターも一般ユーザーも、操作において“守り”が強くなっていたかもしれない
・「戻れない」なら、何も変えない方がいい──そんな風に考える時代がもっと長く続いていた可能性も
まとめ
Ctrl+Zがある世界では、「とりあえずやってみる」が許される。
Ctrl+Zがない世界では、「やる前に考え込む」が求められる。
Undo は“取り消し”ではなく、創造に対するリスクの最小化と許可です。
そんな視点で今、Ctrl+Zを押してみると、
なんだかちょっと心強く感じませんか?
阿久梨絵でした!